千里ニュータウンにお住まいのみなさまから、就学・就職・転勤などで他の地域に転居された千里ニュータウンのOB・OGのみなさまから千里ニュータウンの思い出をお聞きしています。

津雲台の思い出(40代女性より)

  • 【住区】津雲台
  • 【時期】1965年から1979年ごろまで
  • 【思い出】津雲台のC団地の3LDKで、生まれてから中学2年まで育ちました。昭和40年生まれです。当時としては、もっとも大きいタイプの団地だったと思います。最初から、お風呂は併設されていました。夏には、残り湯が冷めたものを、プール代わりの水風呂にして遊んでいたのを覚えています。
    なにより、近所には、同じ年頃の子供が多く住み、同じレイアウトで、勝手のわかったお互いの家を行き来して遊んだり、家からすぐのところにある公園(大きいお砂場、小さいお砂場などの愛称で呼んでいた)で遊んだり、家の前の夾竹桃を秘密基地にみたてて遊んだのも、よい思い出です。
    千里ニュータウンは、いつまでたっても、わたしのふるさとです。津雲台の団地を出てからも、ニュータウン周辺の大きな分譲マンションに移ったので、大学生のころは、南千里駅周辺でアルバイトをしていました。
    ニュータウンに育ったことは、とても幸せだったと思います。現在の様子は、報道される内容の範囲でしか理解していませんが、わたしが住んでいた当時は、明るく、活気があり、若い親たちが一生懸命働く後姿を見ながら、子供時代を過ごしました。日曜日には、ハイキング感覚で、千里中央公園まで、家族で歩いていき、キャッチボールをしたり、春にはつくしも採りました。
    今は、日本を離れ、アメリカに在住しますが、いつかまた、南千里から自宅のあった団地までをゆっくり歩いてみたいと願っています。
  • 【性別】女性
  • 【年代】40〜49歳
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