近隣住区論は、都市の匿名性・相互の無関心などの弊害を、コミュニティの育成によって克服することを目的として、クラレンス・A・ペリー*1)によって提唱された理論です。ペリーは幹線道路で囲まれた小学校区をひとまとまりのコミュニティである近隣住区と捉え、その原則として、
- 規模:小学校が1校必要な人口に対して住宅を供給する。
- 境界:住区は通過交通の迂回を促すのに十分な幅員をもつ幹線道路で取り囲まれる。
- オープン・スペース:小公園とレクリエーション・スペースの体系。
- 公共施設用地:学校その他の公共施設用地は、住区の中央部か公共広場のまわりに適切にまとめる。
- 地域の店舗:商店街地区を1か所またはそれ以上つくり、住区の周辺、できれば交通の接点か隣りの近隣住区の同じような場所の近くに配置する。
- 地区内街路体系:予想発生交通量に見合って作られた幹線道路と、循環交通を促進し、通過交通を防ぐように、全体として設計された住区内の街路網。
の6つを挙げています*2)。
近隣住区論が採用された代表的な郊外住宅地として、アメリカ・ニュージャージー州のラドバーンをあげることができます*3)。ラドバーンでは徹底的な歩車分離を図るため、住区を幹線道路で囲んだスーパーブロックとし、住区内の道路は自動車の通り抜けを排除するためにクルドサック(袋小路)とされています。このような歩車分離の仕組みは「ラドバーンシステム」と呼ばれています。
*1)Clarence Arthur Perry(1872- 1944)。アメリカの社会・教育運動家、 地域計画研究者。
*2)クラレンス・A・ペリー(倉田和 四生訳)『近隣住区論』鹿島出版会 , 1975 年
*3)Radburn。1929 年から開発が 始まった郊外住宅地。
千里ニュータウンの住区
千里ニュータウンでも近隣住区論、ラドバーンシステムの考え方が取り入れられ、「街をつくるまとまり(単位)」として「隣保区(近隣グループ)——分区——住区——地区——住宅都市」という段階的で秩序だった構成が計画されました。住宅は、単一の社会集団を対象とするのではなく、様々なタイプを混在させること、その配置においては歩車分離を原則とすることが考えられています。戸建住宅地ではクルドサック(袋小路)が積極的に採用され、また、特に府営の団地では居住者の交流・活動の場を確保するため「囲み型配置」が採用されました。
千里ニュータウンは吹田市域の8住区、豊中市域の4住区、あわせて12住区から構成されており、C住区(佐竹台)から半時計まわりに入居が進みました。歩ける範囲で生活を送ることができるように、それぞれの住区には日用品を扱うお店、郵便局、銭湯などの入った近隣センターが計画されました。
当初、1つの住区は2つの分区で構成するように考えられ、分区ごとに近隣センターが配置される計画でした。この計画に基づき、初期に開発された高野台ではメインとサブの2つの近隣センターが配置されています。しかし、電気冷蔵庫の普及や自家用車の保有率の高まりといった生活の変化により、頻繁に買物に行かなくても済むようになったことから、近隣センターは各住区に1つあれば十分だと考えられるようになり、結局、サブセンターが実現したのは高野台だけでした。なお、後期に開発された竹見台と桃山台では、2つの住区の近隣センターを隣接して配置することにより、近隣センターの規模・機能の充実を図るという試みも行われています。
小学校は1住区に1校設置されましたが、児童の増加に対応するため、北千里小学校(1973開校。2009閉校)、南竹見台小学校(1978開校。2003年に竹見台小学校・南竹見台小学校が統合し、千里たけみ小学校となる)と1つの住区に複数の小学校が存在する時期もありました。
なお、中央に位置する上新田は、千里ニュータウン開発から除外されたエリアです。