千里ニュータウンにお住まいのみなさまから、就学・就職・転勤などで他の地域に転居された千里ニュータウンのOB・OGのみなさまから千里ニュータウンの思い出をお聞きしています。

藤白台の思い出(60代男性より)

  • 【住区】藤白台
  • 【時期】1970年ごろ
  • 【思い出】万国博覧会。
    藤白台小学校の教室からソ連館が建設されるのが見えていた。
    下から上へ伸び続けていたそれは白い鋭角の建物になった。
    万博開幕の特別報道番組の最初に、小学生児童が多数、歓声をあげながらお祭り広場の階段を駆け下りた場面が放映された。
    駆け下りる児童役にわたしたちが動員された。開幕直前、わたしも同級生たちと一緒に学校からお祭り広場へ連れていかれ、大声で叫びながら階段を走り降りた。
    その場面は、放映時に小学校のテレビでみた。変顔を得意とするHという男がいつもの変顔で大映しになって皆が爆笑した。
    万博には夕方から半額になる入場券を買って入りびたった。
    小学生のわたしにとって、まるで夢の国であった。
    わたしはパビリオンはたぶんほぼ全館入ったと思う。全館制覇した同級生は多くいた。
    パビリオンでその国のバッジがもらえ、コレクションをする者が多かった。
    カナダ館のように、厖大な量のバッジが置かれていていくらでも取っていいようなものもあれば、パビリオンの係員に取り入ってねだらないと入手できないものもあった。
    入手困難なバッジを手に入れた者はそれを自慢した。
    そしてなんと、小学校の中で万博バッジの交換レートが成立していた。
    万博会場で初めてピロシキを食べた。コンパニオンのお姉さんたちはミニスカートをはいていた。帰宅時は暗い道を一人で歩くのがこわかった。
    自宅から歩いて行けるところで万国博覧会が開催されたという僥倖にぶちあたった少年は、その記憶を一生楽しめるという幸運を大切にしておる。
    わたしも還暦をすぎた。
  • 【性別】男性
  • 【年代】60〜69歳