千里ニュータウンにお住まいのみなさまから、就学・就職・転勤などで他の地域に転居された千里ニュータウンのOB・OGのみなさまから千里ニュータウンの思い出をお聞きしています。

新千里北町の暮らし①

新千里北町にお住まいの方々に、豊中市域で最も早く建設された新千里北町の暮らし・思い出をお聞きしました。

  • 日:2014年7月30日(水)
  • 場所:新千里北町会館
  • お話を伺った方 Aさん:女性 Bさん:女性 Cさん:男性

インタビューに登場する場所

1.新たな考えに基づいて開発された新千里北町

〇:千里ニュータウンは吹田市の佐竹台から建設が始まり、反時計回りに建設が進みました。豊中市域では北町が最初に建設されたのですが、北町では様々な新しい試みが行われ、それまでの前半に建設された住区とは違ったかたちの住区になっています。北町では歩行者専用道路がぐるっと周っていますが、これは日本で初めてできたもので、これが新千里東町、西町、南町へとつながっていき、その延長で東京の多摩ニュータウン、名古屋の高蔵寺ニュータウンにも採用されました。千里ニュータウン建設の前半は「一団地の住宅経営」という団地を作る法律に基づいていたわけです。しかし、団地を建てるだけでは町は作れない。そこで、新千里北町からは「新住宅市街地開発事業」によって、住宅だけでなく公共施設や学校なども計画的に作りましょうという考えによって建設されました。北町には「新住宅市街地開発事業」が日本で最初に始まったことを示す看板が残されています。
Aさん:すごいですね。初めて聞きました。
〇:看板は2つあって、医療センターの近くにある小さな公園に1つと、北に数ブロック離れたところにもう一つあります。これは北町の宝物ですので、ぜひ豊中市の文化財にしていただきたいと思います。
Aさん:一回見に行かないといけないね。
Bさん:私は見たことがあるような気がします。
〇:歩行者専用道路によって、自動車にあうことなく町を周れます。小学校も幼稚園もその沿道にありますし、主な施設は車にあわずにぐるっと周れる。車にあうことなく幼稚園や小学校に通うことを考えて、北町は作られているんです。

1068新千里北町 新住宅市街地開発事業の看板, 2012

「新住宅市街地開発事業」の看板

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住区内をまわる歩行者専用道路

2.上新田集落の名残をとどめる樫ノ木公園

〇:北町には北町公園と樫ノ木公園の2つの近隣公園があるのも特徴です。他は1つの町に1つの近隣公園しかなくて、東町なら東町公園、西町なら西町公園、南町なら南町公園だけですが、北町には北町公園と樫ノ木公園の2つります。何故かというと、樫ノ木公園の池は残さなくてはいけなかったからです。当時はまだ田んぼがあった時代ですから、この池の水を田んぼに使っていた。水利権の関係で池を潰せなかったという歴史があるんですね。
Aさん:田んぼがあったんですね。
〇:ニュータウンの中ではないんですが、上新田とか、ニュータウンの周りにはありました〔注:上新田は千里ニュータウン開発から除外された地区で、千里ニュータウンの中央に位置している〕。
Aさん:上新田にはありますよね。
〇:上新田は約400年前からある集落で、千里ニュータウンが開発されるまで、この辺りまで上新田だった。上新田の人たちがこの辺りで田んぼを耕したり、竹林で竹の子をとったりしていました。樫ノ木公園の一画に赤松がありますが、赤松は油分があるので薪にもなりますし、上新田の人々の生活の必需品だったんです。いわゆる里山ですね。松茸もとれたようです。
Bさん:今も「赤松を守る会」ってありますね。
〇:はい。
Aさん:樫ノ木公園に朝6時ぐらいに散歩に行ったら、鴨の親子じゃないけどたくさん泳いでいますね。すごい綺麗なんですよ。この自然はすごくいいなと思って。真冬は、池から靄が上がってすごく素晴らし景色で。
〇:柿の木か何か、大きな木が池の東側にありますよね。
Aさん:はい。ありますね。
〇:あの風景もいいですね。
Aさん:いいですね。
〇:樫ノ木公園には色んな木があって、池のそばに木へんに秋と書く木があります。
Aさん:木へんに秋。
〇:珍しい木なんですけど「きささげ」といって豆みたいなものがなる。それから大王松という大きい葉っぱの松があって。大きな松ぼっくりができるんです。
Aさん:北町公園にもありますね。今日、樫ノ木公園の前を通ったら草ボウボウで。蛇でもいそうな感じで、この時期は遊ぶ環境じゃない。もうちょっと整備されていたらみなさんお散歩行ったりするんでしょうけど。
〇:子どもはあんまり近寄らないみたいですが。
Aさん:やっぱり死角が多いんですよね。小さい子どもたちはあそこではあまり遊ばないかも。近隣の高齢者の方がワラビが採れると言って、樫ノ木公園の方に行かれます。

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樫ノ木池公園

樫ノ木公園

樫ノ木池公園の赤松

3.ユニークな車止め

〇:千里ニュータウンで動物の形をした車止めがあるのは北町だけです。理由はよくわからないんですけど。
Bさん:昔、よく車止めで遊んでいました。
Cさん:そうですね。
〇:車止めは、だいたい場所は覚えてますか?
Bさん:はい。わかります。
Aさん:地域でまち歩きをした時、車止めを見ながら歩いて、これを保存して欲しいと市にも申し出をしました。
〇:今、道路工事をしたら一般的な金属製の車止めになってしまってもったいないと思います。
Bさん:そうなんですよね。家の近くにもカバが2体いましたが、無くなりました。
〇:地域で車止めを残そうとする活動はされてるんですか?
Aさん:昨年、自治協議会を立ち上げる時に、北町の探索ということで、みなでまち歩きをしたんですよ。その時、動物の車止めは他にはなくて、北町の1つの財産だという話をしました。
〇:子どもの時、名前を付けたりしましたか?
Bさん:名前はないですけど。
Aさん:亀さんとか、象さんとかその形で呼んでますね。
〇:動物以外にも、何の形かわからないものもありますよね。それには呼び名があったのかなと。
Cさん:当たり前の風景になってしまって。小学生の頃なんかは「象の前、カバの前に集合な」って言ってましたね。
Bさん:通る時には必ず動物に乗り上がって、何かしていました。
Aさん:遊具みたいになってますね。
Bさん:そうです、遊具。
Aさん:今でもなってますけどね。
〇:全部でいくつぐらいあるんですかね?
Aさん:まち歩きの資料には数を書いてると思うんですけど。
〇:これは北町の観光資源になると思います。
Bさん:そうですね。キリンはどこ、とか。
Aさん:そのアイディアいいですね。

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キリン

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キリン

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ゾウ

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リス

〇:千里文化センター・コラボでもまち歩きをしていて、車止めを捜しながら歩いたんですけど、ぜひ色を塗り直してもらいたいなと。
Aさん:色が落ちたり、形が欠けたりするものもあります。
Cさん:勝手に塗っていいんですかね?
〇:許可はいるのかもしれません。
Aさん:楽しいでしょうね、色を塗るイベントみたいにすれば。
〇:割と小さいから、子どもでも塗れるかなと。
Aさん:みんなでカラフルに塗りましょう。
Bさん:それは楽しいですよね。町に残りますし。
〇:名前も付けるといいですね。私は、この黄色いキリンを疲れたキリンと呼んでます(笑)。
Bさん:疲れていないですよ(笑)。
〇:先ほど、カバがいたと話されてましたが。
Bさん:カバは、家の前の公園に2体いたんです。
〇:「あった」ではなく「いた」んですね
Bさん:いたんです。そこでいつも待ち合わせをしたりとか、別れる時もそこで喋って。喋る時もカバさんの上に乗りながらとか。
〇:上に乗る以外に、遊び道具として使った思い出はないですか? 例えば集合はカメさんとか。
Bさん:そんなのは日常茶飯事ですね。あそこに荷物置いたり座ったりして喋る。そこが分岐点になっているので。
〇:北丘小学校の子どもはみんな知っていますか? キリンって言ったら、場所わかりますかね?
Bさん:全員はわからないかもしれないですね。
Aさん:それぞれの子どもによって行動範囲内で違うかもしれないですね。
Cさん:車止めは住宅地の中にあるからね。
Bさん:住宅の子はわかると思うんですけど、一丁目とか他の地区の子たちにはわからないかもしれないですね。
Aさん:ひじり幼稚園の横に側道がありますね。橋を渡ったところにクマさんがあって、そこからずっと下りていった千里中央線のところに亀さんがあって。クマさんとカメさんは子どもたちがよく滑り台にしてますね。北町の子は、大概遊んでいる。
〇:東町には車止めが2つか3つぐらいしかないのは、戸建て住宅がないからですね。
Bさん:そうですね。
〇:クマはひじり幼稚園のちょっと南側の橋の手前にあったけど、なくなりましたね。
Aさん:みんな滑って遊んでいましたよ。
Bさん:登りたいね。
〇:復活させたいですね。

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幾何学的な形

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幾何学的な形

4.子どもが多かった時代

Aさん:今も小学校で地区児童会がりますが、昔はすごく子どもが多くて、娘が通っていた頃は1学年3~4クラスありました。地区児童会がすごく活発で、地域で段ボールや空き缶を集めて活動費にしてました。夏休みになったらラジオ体操が欠かせなかったんですが。ラジオ体操は今もしているのかな?
〇:どんぐり山でやってるという話は聞きましたけど。
Cさん:やっていますね。
Bさん:でも、どんぐり山だけですね。
Aさん:昔は町全体でやってましたね。
Cさん:野球場でやった覚えがありますね。
Aさん:やったね。あと花火大会とか。子ども会は、子どもの人数がすごく多かったので、PTAの地区委員の方が率先して色んな遊びをされてました。公民分館主催の体育祭もそうですけど、小学校のPTAに子どもの部を作って。20年以上前の話ですが、体育祭が始まる前、北町の中を子どもたちが練り歩くんです。その後小学校に行って、体育祭の競技に参加したり。
〇:練り歩くのは、結構続いていた行事ですか?
Aさん:はい。結構続いてましたね。
〇:練り歩くのはどの辺りですか?
Aさん:バス通りとかを練り歩くんですよ。
Bさん:それは今から体育祭始まるという?
Aさん:体育祭が始まるという前の宣伝ですね。
〇:何かを持って歩くんですか、ただ行進するだけですか?
Aさん:行進とか、ちっちゃなマラソン形式にしたりとか。体育祭でも、一丁目、二丁目、三丁目で分かれて応援合戦がすごかった。
Bさん:市民体育祭で?
Aさん:うん。太鼓を持って来たり、ポンポン作ったりとかしてましたね。25年前ぐらいですね。とにかく人が多かったですから。子どもが小さい時は千里子どもカーニバルがありましたよね。各自治体で色んなイベントの仮装とかを募集して、北町全体でバスに乗って行ってました。北町からの参加はかなり多かったんですよ。
〇:カーニバルは吹田で行われてたんですよね。
Aさん:そうです、千里南公園で。私も何年か付き添いで行ったことがあります。色んな形での地域の関わりがあったんですけど、ここ20年ぐらいはなくなりましたね。昔はお節介な爺ちゃん、婆ちゃんが多くて、色々面倒みて下さるんですよ。昔の村的な付き合いがあったんですけどね。今はそれが全くなくなって、ドアを閉めたら終わりでプライバシーやらなんやら。昔は隣が何かあったりしたら、すぐ飛んできて、お節介焼いてくれはるような人がいました。
〇:子どもが多いと子どもつながりで。
Bさん:やっぱり人数の問題やと思います。今は子ども少な過ぎますね。

1198新千里北町 どんぐり山より, 2012

どんぐり山からの眺め

1197新千里北町 北町公園, 2012

北町公園のグラウンド


151229豊中市域の小学校の児童数.002

北丘小学校の児童数の推移

5.盆踊り

Aさん:昔はイベントがたくさんあったんですよ。特に盆踊りはね。
Bさん:盆踊りは本当に復活させたいんですけど。
Aさん:北町公園で毎年やってました。
〇:盆踊りは楽しかったですか?
Bさん:盆踊りは最高に楽しかったです。
Aさん:東町からもいっぱい来ていましたもんね。
〇:そうなんですか。
Aさん:子どもたち流れますもん。
Bさん:盆踊りが一番の大イベントなんですよ、夏休みの。それまでに、それぞれの地域で小さいお祭りをやってました。だから、ここのお祭り行ったら、次は一丁目の祭り、次は三丁目の祭りとか言って。最終のイベントが北町公園のグランドで。
Cさん:野球場でね、
Bさん:早く行かないと、チュウチュウ貰えないとか、大人の人はウチワが貰えるんですけど。とにかく皆が集合するような感じなので。
〇:いつ頃まであったんですか?
Aさん:15年前ぐらいになりますね。みなさん楽しみにされてて、遅くまで踊ってたんですよ。
Bさん:遅くまで踊ってましたよね。
〇:一大イベントだったみたいですね。
Bさん:本当の思い出なんですよ。私が子どものボランティアをやるのも、子どもの時の思い出が大事だと思ってるから。それは、今振り返ったら、大人の人がやっててくれたんだとわかります。地域の方が子どもを育ててくれていたこともわかりますから、自分が育った場所がこれからもそうであって欲しいと思います。大きい祭りは難しいかもしれないけど、同じ体験を子どもたちにさせてあげたい。私が楽しかったから。
〇:千里ニュータウンができた頃は、それぞれ故郷に戻ってたけど、ある時期から千里ニュータウンがやっと故郷になって盆踊りをするようになったっていう話を聞いたことがあります。いつから盆踊りが本物になったという節目みたいのはありますか? 途中から始まったんですよね。
Aさん:途中からだと思いますけど。長いこと続いていましたからね。
〇:盆踊りは、お盆の期間は外すんですよね?
Aさん:例年8月15日から20日までの間ぐらいだった。
〇:じゃあお盆ですよね。夏の終わりとおしゃっていませんでした?
Cさん:お盆の次の土日ですかね。
Bさん:だから帰ってこれるのかな。それぞれの子ども会があって、それで盆踊りがあるんですね。
〇:子どもは、ハシゴするんですか?
Bさん:します。あっちで夏祭りあると聞いたら行くし。
〇:踊ったり、食べたりして楽しむのですか?
Bさん:踊りますし、地域で屋台を出してたりもしますね。「あそこはすごい良かったで」とか言いながらね。
Aさん:各自治会ごとに独自の催しがあって、一丁目の公団は夏祭りの形でずっと継続されていて、今年もありました。三丁目の府営でも夏祭りがありましたし。
〇:団地では続いているんですね?
Aさん:府営の団地は無くなりました。今継続されているのは一丁目だけですね。
〇:どこで行われてたのですか?
Aさん:各団地の集会所の前で。盆踊りができないところは、模擬店みたいなのが多かったり、抽選会があったりしました。
Bさん:二丁目はつつじ公園で盆踊りました。二丁目の戸建て住宅のところは盆踊りはできないんですけど、家の横にお店を構えてやってましたね。金魚すくいしたりする屋台が立ち並んでいましたね。別の日には、つつじ公園で盆踊りがあって。
Cさん:一丁目の分譲住宅は北町公園で花火をしてました。そのうち花火も無くなって。
Aさん:花火は、今は規制があってなかなかできないですよね。

6.地域の行事

Aさん:みなさん若くて、住民の方もたくさんいたので、イベントをしようと言ったらすぐみなさん賛成してできたんですけどね。今は北町の人口自体が減ってるので。世帯数はあっても高齢の方が多くて。
〇:何かやろうという時、担い手は女性と男性どちらが多かったですか?
Aさん:私の近所では別に関係なかったんですが、やっぱり男性の方が多かったですね。もちろん、女性の方もよく動かれました。
〇:なるほど。夏祭り以外に地域のお祭りはありましたか。例えば、餅つきとか。
Aさん:三丁目の府営は餅つき、秋には芋掘りハイキングとかありますね。上新田まで歩いて行って、掘った芋の大きさを競い合ったり、商品が出たりして。子どもが小さい時は何回も参加しました。いつの間にかマンションが建ち、畑も無くなったから、行事自体も消滅しちゃったんだけど。今でも写真が残ってますけど、懐かしいですね。
〇:上新田とつながりがあったんですか?
Aさん:そうですね。上新田の地主さんにお願いして。
Bさん:子ども会はそれぞれにあったので、子ども会での活動はあったかなと。子ども会で餅つきもしましたし。
Aさん:手作りでお神輿も作りました。
〇:どこのお神輿ですか?
Aさん:三丁目の府営のお神輿で、十何年前には市民体育祭の時に子どもたちが担ぎました。今でも保存されていると思います。
〇:神社とは関係ないということで。
Aさん:関係ないですね。活性化のために作られたものです。法被もありました。体育祭で練り歩いて
〇:お神輿は三丁目府営のものなんですか?
Aさん:はい。三丁目の、今80歳ぐらいの男性の方々が有志を集めて作られて。秋祭りの時は、子どもたちが法被を着て、お神輿を担いで町内を練り歩いていましたね。
〇:秋祭りもあったわけですね。
Aさん:はい。本当にかわいい小さなお神輿で、子どもが担げるぐらいで。ウチワを持った人が先導して、笛を吹きながら歩いてました。
〇:その時、露店は出るんですか?
Aさん:いえ、ただお菓子をあげたりとか。私はあんまり参加してなくて、家からちょっと見たぐらいなのですが、結構子どもたちは参加してました。

7.近隣センターでの買い物・暮らし

Aさん:私が越して来た頃は北町市場がありました。市場の前も店がずら~っとあって、薬屋さんから何でもあったんです。建物の前には公園があって、そこで夕涼みされる大人の方が多くて。公園の前に石のベンチが多かったから、夕方涼んでいる方が多かったですね。
〇:市場は、マンションに建て替わりましたね。
Aさん:近隣センターには喫茶店もあったし、色んな店がありました。
Cさん:市場の2階は住居になってたんですよね?
Aさん:いや、低いスロープを上がっていくと衣料品店とか、八中の制服とかも売ってて。1階は八百屋さんやら化粧品やら色んな店が入ってた。みんな対面式で。私は対面式の店は嫌いだったんですけど、すごく活気があったね。
Bさん:そうですね。
Aさん:お肉屋さんも2軒あったり。
Bさん:駄菓子屋さんもあったしね。
Aさん:ほんとやね。
Bさん:あの駄菓子屋さんはよかったので復活させたいんですけど、子どもたちのために。そういのをきっかけに外に出るし、良い悪いも学べるし、駄菓子屋さんをもう一回やりたいと、私らのメンバーでは言ってます。
〇:お肉屋さんのコロッケが有名でしたよね。
Aさん:そうですよね。美味しくてよく買いました。
Cさん:たこ焼きが美味しかった。
〇:それは露店じゃなくて。
Bさん:市場の中に入ってましたね。
〇:トイレットペーパー騒動〔注:1973年のオイルショックをきっかけとするトイレットペーパー騒動〕は、一般的には千里中央のピーコック〔注意:当時は千里大丸プラザ〕が始まりだと言われてますが、新千里北町の近隣センターからだという人もいるんですよ。いろんな所で同時多発的に発生したみたいですね。
〇:銭湯もありましたね。
Bさん:ありました。よく行きましたよ。家の風呂が壊れては行ったり。
〇:府営住宅の人だけじゃなくて、戸建ての人たちも行かれたということですね。千里中央ができてから、生活の範囲は変わりましたか?
Bさん:市場がある時は、市場でしたよね。
Aさん:市場が賑わってたから、人の流れはすごくあったんですよ。色んな店がみんな開いていたので。地域だからアットホームな感じですよね。だから利用しやすかったんじゃないかな。
〇:東町からもこっちに買いに来たって話を聞きました。
Aさん:そうですね。
Bさん:私が小さい時、石川書店のおじちゃんが手品師で面白かったです。たばこを消したりとか、すっごい有名でしたよね。
〇:店でやるんですか?
Bさん:店ですね。書店で文房具買ったり、市場にお使いに行ったりしてました。

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現在の新千里北町近隣センター(撮影:2015年)

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赤い時計台のある千里センタービル

8.近隣センターの変化

〇:色んな店があったのが全部無くなったんですね。
Aさん:市場の方も、徐々に店が閉店していったから一度になくなるんじゃないのですが。徐々に色んなお店が無くなっていって、みな千里中央に行くようになりましたね。本屋さん、薬屋さん、布団屋さん、酒屋さん、米屋さんと市場以外のマーケットの方にも結構揃ってました。私が越して来た時には中華料理店があって、美味しくてかなり流行ってたんですけど、いつの間にか無くなって。そこから代替わりが激しくなって。
Bさん:代替わり多いですよね。
Aさん:カラオケもあったね。
〇:カラオケは、そんなに昔からあったんですか?
Aさん:ありました
〇:そうすると千里で一番早いかもしれないですね。
Bさん:恐らくそうですね。ただ、コンビニはないし、パチンコとかもあまり作らないですしね。
Aさん:コンビニは遅くまで開いてるので、風紀が乱れるということで反対があって。
Bさん:たぶん北町市場があった時は、ここで全部まかなえてたんじゃないかな。上等品を買わないといけないとか、きれいな服を買いたいという時は、千里中央に行きますけど。
Aさん:最初、千里中央は閑散としてましたもんね。
〇:みなさん、時計台を覚えておられますね。
Aさん:見えたんですよ、赤い時計台。歩きながら時間も見えるし。あれがなくなって寂しいですね。
Bさん:これ大事でしたよね。
〇:そういうお話をよく聞きますね。

9.スポーツ振興会

Aさん:創立して何年かわからないんですけど北丘スポーツ振興会があります。地域でスポーツを通じて親交を深めようと野球、ソフトボール、剣道とか色んなことをやってます。豊中市スポーツ振興事業団ってありますよね。北町は独自で作ってて。これが北町の活動の機会を立ち上げる大きな団体だったんです。
Cさん:子どもがいるから親同士が仲良くなったり、男の子なら少年野球に入ったり、一時期北丘だけでは人数が足りなくて東町と合同でやったり。
Aさん:盛んな時は30~40人いました。クラブに入っている子どもに加えて、親も色んな行事をしたり、参加協力していましたね。
〇:自治会とは違うんですか。
Aさん:違うんです。スポーツ振興会ってあったんです。
〇:場所はどこにあったんですか?
Aさん:北町の会長さんの家を拠点にしてましたが、会議とかは北町会館を利用していましたね。
〇:スポーツをやる時の場所はあるんですか?
Aさん:小学校ですね。
〇:小学生が対象ですか?
Aさん:いえ、大人の方も使います。
Bさん:大人の団体もありますね。ソフトボールとか女子ソフトボールとか。
〇:ママさんバレーありました?
Aさん:ありました。優勝したとかで、写真を持ってる人がいます。40年前ぐらいですが、北町はすごく強かったと。
〇:スポーツ振興会は東町にはないんですか?
Aさん:ないんですよ。北丘だけなんです。
〇:みんなで立ち上げたんですか?
Aさん:みんなで立ち上げたみたいですね。

10.故郷としての新千里北町

〇:一度北町を出た方が、また戻ってくるということは多いですか?
Cさん:少ないです。
〇:戻って来ても、住める住宅がないからですか?
Cさん:会社の事情とか。
〇:東町では、できたら戻って来たいという話を聞くんですが。
Bさん:北町ではあまり聞かないですけど。でも、北町は住みやすいとは聞きますね。
Aさん:環境がすごく良くて、緑があって、梅田にも空港にも近くて。娘は戻って来たいと言いますね。娘にとってはやっぱりここが故郷ですし、子どもを育てる環境はすごくいいので。公園も多いですし、子育てするにはやさしい町ですね。
Bさん:私はずっと住んでますから、ここが居心地いいのはわかってるんですけど、余所から移って来られる方も空気が違うって、すごく住みやすいって話してるのをよく聞きますね。自分もここの方が子育てしやすいですね。でも、子どもが育つ環境は大人が作らないといけないですし、子どもたちが故郷と思えるようなところにしてやりたいと思いますね。地域の方と自分が接することで、もっともっといい町にしていきたいと思います。


  • インタビューは千里グッズの会と豊中市との協働事業「千里ニュータウンの地域情報の「蓄積・編集・発信」システムの開発事業」(2011〜2014年度)の一貫として実施したものです。
  • 千里ニュータウン研究・情報センターでは色々な方から千里にまつわる話をお聞きしています。こちらのページもご覧ください。