公団(現UR)新千里東町団地での暮らしの様子を、住民の方々にお伺いしました。
- 日:2011年10月11日(水)・2012年1月10日(水)
- お話を伺った方 Aさん:女性 Bさん:女性 Cさん:女性
1.入居当初の暮らし
〇:万博が終わってすぐの頃に入居されたんですね。
Aさん:2〜3ヵ月たってから。
Aさん:万博が9月に終わって。
Bさん:万博の時は外国人の住居やったわけでしょ。万博が終わって外国人が出て行って、その後日本人が住めるようにちょっと改装して。
〇:そのころはやっぱり抽選ですか?
Bさん:抽選です。ものすごく厳しかったですよ。
Aさん:20回外れて、やっと入れたという人もいました。
Bさん:そうそう。
Aさん:だって、シャワーがあると言って、ものすごく喜んで。当時、シャワーがない、お風呂もあんまりない時に、外国人の宿舎だったのでお風呂に固定ですけどシャワーがついてて。それまで、私たちはシャワーの生活なんて知らんかったからね。
Bさん:そうですよ、第一、シャワーがある家なんか、
Aさん:40年代にシャワーはないのよ。
〇:屋上では何かしてましたか?
Aさん:昔は高層棟の屋上が、洗濯物干し場だったんです。でも、子どもたちが上がって、ちょっと悪いことをし出したみたいで上がれなくなりました。今でも、淀川花火の時は開放して欲しいという要望はあります。
〇:洗濯は中層の棟でも干してましたか?
Aさん:中層はできない。中層はエレベーターもないしね。高層棟はエレベーターで屋上まで行けますから。私らが入ってきた頃は、まだ屋上に洗濯物がなびいていたのを覚えてます。
2.子ども
Cさん:子どもは多かったね。階段でね10人はいてたのと違うかなぁ。それぞれの家に2人ずつ。
Aさん:もっといたと思うよ。私入って来た時びっくりしたもん、子どもばっかりで。
Cさん:あの頃が一番多かった。
Aさん:最初の頃は。
〇:子どもは同じ学年の子と遊んでましたか? 同じ階段の子と遊んでました?
Cさん:大体同じ学年が多かった。小さい子は、お兄ちゃんに付いてくる子もいたし。
Aさん:兄弟がいたら、やっぱり付いてくる子もいる。
Cさん:そうね、大体、2人以上いたから。
Aさん:子どもたちは5時になったら、みな家に帰るんです。5時ぐらいから、子どもの漫画があるんです。でも、中には帰らない子たちがいるから、「なぜあの子らは帰らないんだろう?」と思ってたら、ビデオがあるからって。ビデオで録画してるから、遊びたいだけ遊べるわけ。だけど大概の子どもの家にはビデオがないから、5時になったら帰ってた。そんな時代やった。
〇:子どもは、友達の家に遊びに行ったりしてました?
Aさん:昔、私たちが子育てしている頃は、どこのお家も鍵かかってなかったんです。
〇:公団でもそうですか。
Aさん:はい。鍵かかってなかったんです。だから勝手に。
〇:信じられない。
Aさん:夏暑かったら、扉開けてましたもん。凄く開放的でしたけど。今はもうどこのお家もね、きちっと閉めて。私が出掛ける時、鍵なんかしてたら、他の家に行ってましたもんね。そして、奥さんが、うちにいますって書いて、貼り紙して。
Aさん:うちは19棟なんだけどね、22棟にうちの子と仲良しの子がいて、棟同士で呼び合うんですよ、すごい離れてるのに。
〇:100mぐらいあるんじゃないですか。
Aさん:結構ありますよ。それをお互いに声張り上げて「行こか〜」とか「遊ぼか〜」とか。
〇:叫べるんですか?
Aさん:叫ぶんです、もぅ大きな声で。その頃、子どもがたくさんいました。
〇:お子さんがいくつぐらいの時ですか?
Aさん:幼稚園から小学校にかけての頃、子どもが叫びあってました。やんちゃで、うちは2階なんですけどね、庇がありますでしょ。その廂から下に飛び下りてましたよ、子どもたち。3m以上ありますけど、どの子も骨折することもなく。
〇:土なら大丈夫だったのかな?
Aさん:土なんです、芝生なんです。アスファルトの部分が少しあって、後は全部芝生だったのでね。大概の子どもは自分のところの裏で自転車の練習しましたね。乗れるようになるまでちょっと格好悪くて、表で練習するのは恥ずかしいという子どもの気持ちがあったみたいで。みんな裏で自転車の練習やってました。
3.子どもの遊び場
Aさん:最初からあったのはブランコと砂場ぐらいだったんですね。それで、子どもたちが大きくなってきて、鉄棒ができない子がコンプレックスを感じたらしくて、鉄棒を作ってやりたいって行ってね。その頃、みんな鉄棒を必死になって練習して。結構、低い鉄棒があっちこっちにあるのは、逆上がりの練習するために。
〇:そんな声を拾って、公団に頼んだんですか?
Aさん:そう。子どもは、逆上がりができるのはすごく嬉しいことだったんです。だからもう逆上がりを必死で練習してましたよ。手まめ作りながら。子どもたちは、練習するのに順番待ってましたもん。
〇:並んでるんですか?
Aさん:順番にくるくる回っていくのね、失敗したら次の子。子どもがいっぱいいましたから。
〇:子どもが遊ぶ範囲はどうでしたか?
Aさん:団地の中には、友達があっちこっちにいるのでね、 今日はこっち、今日はあっちとか言いながら。学校では、千里中央の中まで行ってはいけないことになってましたが、千里中央以外はどこでも行けたんですよ。あかしや行ったり、B棟に行ったり。でも、どういう訳か、その頃はC棟にみんな遊びに来てました。
〇:来る方ですか?
Aさん:来る方が多かったですね。
〇:遊具があるからですかね?
Aさん:やっぱり広々してましたよね、一番。
4.買い物
〇:買い物はどちらでされてますか?
Aさん:今まではずっと千里中央に行ってたんだけど、街角広場に来るようになってからは青葉〔近隣センターのスーパー〕で。前は月に1回も来なかったね。
Bさん:そうそう。行かないよ。
Aさん:必ず阪急に行ってた。阪急、大丸、ダイエーと回って、遊びながら。(笑)
Bさん:無駄なお金使いながら(笑)
Aさん:阪急、大丸、ダイエーに行ったらね、その間に専門店街もあるし。
Bさん:今それにオアシスも出きてるしねぇ
Aさん:都市機構の人は9割は、千里中央やね。
Bさん:そうやね。青葉って行ったことないと言う人多いよ。
Aさん:だから、街角広場に来る人もほとんどいない。よっぽど知ってる人しか来ないね。
〇:あまり知らないんですかね。
Aさん:こっち〔近隣センター〕に足が向かないのよ。どうしても千里中央に行っちゃうのよ。
Bさん:高齢化してるでしょ。小学校があれば用事でこっちに来たりするけど、それがないから。
Aさん:子どものお母さんは、学校で何かある時は青葉でお買い物するみたいだけどね。年寄りはわざわざ出て来ない。
Bさん:千里中央に行けば色んな店があるから。もうちょっと近隣センターも栄えたらいいのにね。
Aさん:商店街自体がさびれてしまってるからね。
5.住棟の配置
公団(現UR)新千里東町団地の住棟配置
〇:府営住宅では囲みの中を裏って呼んでるらしいんです。単純に府営を比較してはいけないですが、公団では中庭を裏って呼んでました?
Aさん:え?
〇:府営住宅ではみな道路側から入るんです。だから、囲みの中は裏側になっていて。
Aさん:そうなんですか。公団は、どちらからも入れますよ。階段室が通り抜けできるんです。裏なんて聞いたことないけどねぇ。
〇:さっき、子どもが自転車の練習を 裏でやってたって。
Aさん:でも、囲みの中を裏とは言わないで、19棟の私らは南側って言ってるだけで。大概の人は南側って言うと思うんですよ。
〇:やっぱり抜けてるのはすぐわかるわけですね。僕らも歩いたら、抜けてるなって気づく。
Aさん:抜けてますでしょ。雨降ってたら階段を通り抜けることはあるかもしれませんが、普通は私らも階段は通りぬけはしません。道があるからついつい道にそって歩きます。でも、裏っていうのは初めて。
〇:やっぱり府営住宅とは性格が違うんですね。中庭に名前が付いてますか?
Aさん:何にもついてないです。
〇:何棟のっていう感じで。
Aさん:そうそう。
〇:建物の壁に絵が描かれてますよね。
Aさん:20年ぐらい前かなぁ。公園に面している壁面に絵を描いたんです。
〇:住民がお願いしてやったんですか、それとも、公団がやったんですか?
Aさん:自治会じゃないでしょうか。うちの棟の壁にもお猿さんがブランコして遊んでますでしょ。公園に面してるとこ、公園に面してるとこの壁面に描いてある。大体動物シリーズだったのに、25棟だけどういう訳か飛行機かなんかが。動物シリーズでいったのにという話やったねぇ。
6.自治会活動
Aさん:うちの自治会は全戸じゃなくて希望者のみなんですよ。1,200世帯ぐらいあって、今700戸ぐらいが自治会に入ってます。
〇:棟単位で代表がいるんですか?
Aさん:そうです、棟委員がいて、階段には階段当番がいます。棟委員会が3カ月に1回あって、3か月に1回自治会費を集めるんですね、1カ月200円で。
〇:階段がない棟にも階段代表がいるんですか? 高層の棟は階段じゃないですよね。
Aさん:あそこは階なんです。階段じゃなく階ごとに。うちの棟には4つ階段があるから40軒なんですけど、1年を通して1軒が棟委員になる。でも、他の棟では、4つの階段を半分に分けて、棟委員が2人いる棟もあります。前期と後期で棟委員が変わったり。それぞれの棟によって違いますね。
〇:階段ごとに階段当番でしたっけ?
Aさん:はい。4つの階段それぞれに階段当番がいます。そして、4つの階段が毎年順番に棟委員を出していく。階段室に10軒あれば、階段当番は10年に1回。それで、4年に1回棟委員がまわってくる。上手くぶつかった人が棟委員と階段当番になるんですけどね。ただ、言う程じゃないんですけど。団地祭とか何かの時には、棟委員さんとか階段当番さんはなるだけ参加してくださいということで。団地祭では模擬店が忙しいんですよ。こんな大きなカネのもので炭おこしてもらって、竹串にパンの生地を巻きつけて焼くんです。中にマーマレードかイチゴジャムを入れて食べるんですけど、それは凄い人気でね。私はいつもその当番なんですけどね。あと、焼きそば、焼き鳥、おでん、豚汁。この団地祭はずっと続いてます。
〇:夏ですか、秋ですか?
Aさん:秋に集会所でやります。小さいですけどお神輿もあって。
〇:団地祭は最初からありました?
Aさん:私が入った頃はもうありました。だからたぶん最初からあったんだと。
〇:団地全体で1つの自治会なんですか?
Aさん:はいそうです。うちの団地は1DK、2DK、3DKと色々あって、1DKは単身者の方が多いので。中には、1DKでも自治会活動してくださる方もいらっしゃるんですけどね。
7.集会所
Aさん:集会所は、お葬式があれば一番優先なんです。それで、集会所でお葬式があれば、自治会員さんの場合は、福利厚生もお手伝いすることになってるんです。今までは集会所でお葬式をされたら、必ず受付とかお香典のあれとかみんな手伝ったんですけどね。
〇:同じ住棟の人が手伝うんですか?
Aさん:福利厚生が主に。
〇:自治会全体の、福利厚生の人がということですね?
Aさん:はい、全体で。でも、今は集会所でお葬式をすることもなくなりましたね。この前、1軒ありましたけど。歩いていける距離に葬儀場ができたので、たまにお手伝いに行くんですけどね。電車に乗ってまでは行けませんが、そこは歩いて行ける距離にあるので。
〇:団地でサークルみたいなものは行なわれてますか?
Aさん:絵画。それから老人の人たちが麻雀されたりね。お金を賭けないで麻雀で頭を使いましょうと言って。それからお習字。
〇:それは集会所でやっている?
Aさん:集会所でやってます。社交ダンスをやってるグループもありますね。集会所の台所が電化されて結構充実してるので、季節のお味噌作りをしたり。集会所は凄いお安い値段で借りれるのでね。
〇:サークルの場合はお金を払って借りるわけですね。
Aさん:集会所はURが管理してますから。自治会も何かする時は借りるんです。去年の団地祭では、色んな方たちが絵画の展示会を結構盛大にやってました。囲碁クラブは長い間続いてますね。それと、千東会、これはゴルフの会です。
〇:活発ですね。
Aさん:もう古いからねぇ、親しくなってる人が多いですね。入れ替わらない人は、ずっと30年住んでますからね。
〇:住民が集まるために何かされてますか?
Aさん:集会所で月1回、茶話会をやってるんです。
〇:どんな方が?
Aさん:一応、お子さんもって言うんですけど、お子さんを連れて来てくださるのは夏休みの時とか、大学芋を作ったり何かある時だけですね。
〇:茶話会はいつ頃からやってますか。
Aさん:4年ぐらい前。
〇:きっかけは?
Aさん:私が福利厚生の部長の時に、隣の階段のご主人が自治会長になられて、「何かやって欲しいんやけどな」って言われて。人が集まる場所を作って、憩うところがあればと。お年寄りには「街角広場」までも来れないですしね。歳をとるとだんだん出不精になるから、何とか月1回でも2回でも外に出してあげたいと思って。ほんとは1階でできたらいいんですけど、うちは集会所が2階になってるんでるよね、スロープはありますけどね。1階だったらもっと入りやすいと思うんですけど、2階でも来ていただいてます。
8.遊び場の変化
Aさん:遊具がたくさんあったんですけどね。今、砂場だけがかろうじて残ってるだけになりました。
Bさん:すべり台もなんで取り払ったんかね、危ないからやね、これ落ちるから。
Aさん:横から落ちるから。
〇:あ、落ちるんですか?
Bさん:うん、見てたらひやひやしたよ。ここに乗ったりしてね。
Aさん:だけどね、落ちた子はいるけど、別に怪我した子はいない。
Bさん:そう。
〇:まぁ落ちるぐらいは。
Aさん:22棟と24の間に大きな砂場があってね、お母さんたちは腰かけて、子どもを遊ばせてたんです。まる〜くあったんよ。結構大きかったんですけどね。
〇:全部砂場?
Aさん:砂場やったんです。横にちょっと小さな鉄棒があったんです。
Bさん:鉄棒もなくなったね。
Aさん:1つあるけどね。子どもが落ちるからと言って。
〇:その落ちるから取ろうというのは誰の提案ですか?
Bさん:住民さんですよ。
Aさん:今20代の人が子どもだった頃から、お母さんたちが、どう言えばいいのかな。
Bさん:砂場も不潔だとか言ってね。
Aさん:猫がフンするとかね。今も言ってるんですよ、砂場に網をかけてくれとかね。
〇:網をかけるんですか?
Aさん:うん。若いお母さんたちがずっと。今もその話は、自治会、棟委員会がある度に出てくるんですけどね。だから、砂場がなくなったとか結構あるんです。
〇:衛生的じゃないということですね。
Aさん:お母さん方の考え方が、私たちの時はどこの子どもも十把一絡げだったのが、自分とこだけの単位になってきたからねぇ。交流があんまり好きじゃなくなったんですかねぇ。私たちの時は棟単位であるとか団地単位であったのが、今は家単位になってるからね、我が家、我が家だけという感じ。
Bさん:スプリングのガチャガチャするのもなくなったでしょ。そういうので遊んで、子どもは危険だというのを覚えていくのにね。
Aさん:12棟の方は変わったところある?
Bさん:東側のすべり台がなくなって、遊具は全部なくなって、ただのグラウンドになった。西側には小さな砂場があって、すべり台も最新のカバーついて、赤や緑のトンネルのついたのがある。あと、すりはち公園もなくなったんやね。
Aさん:うん、そうやね。
Bさん:危ないから。
Aさん:スケボーで滑って遊んだから。埋められてしまって。
9.駐車場の増設
Aさん:何より変わったのは駐車場よね。駐車場を作ったために本当にもう。
Bさん:どこでもそう。子どもらが遊んでたところを埋めてしまってね。
Aさん:最初は車も少なかったから、駐車場もいらなかったんだけどね。
Bさん:喧々囂々やったね。緑消して駐車場にしようと言った時は。
Aさん:反対する人が凄かったんですよ、喧嘩になるくらいね。やっぱり緑を削られるのが嫌で。12棟の南側に駐車場できるというのがほとんど決まりかけてた。でも、すごい反対してくれる人が2人いて、理論的に反対する人が。
〇:理論的というのはどういう理論ですか?
Aさん:それこそ、東大卒のおばちゃんがいてはってね。理詰めで言うから、勝てない。
Bさん:車を持ってない人の気持ちも言われたからね。
Aさん:「最初の設計が車社会を見越してなかったのが悪いんやから、住民の意見はしっかり聞いた上で、中途半端な気持ちでは作らないで欲しい」というのがおばあちゃんの意見。
Bさん:偉い。
Aさん:やっぱり明治の人は偉い。
〇:明治の人?
① :明治の人。学校の先生で、12棟の北側にいつも綺麗にお花をいっぱい植えてはった。だけど、75歳の時に全部抜いてしまったの。おばあちゃんどうしたの? と聞いたら、「私が、ちゃんと生きてる間に、自分で植えたものには責任を持たないと、人の土地に植えてるんやからね。今は綺麗にして皆さんに見てもらってるからいいけど、自分が手入れできなくなったら汚くなるだけやと言って。綺麗に片付けてね。今、薔薇とアジサイだけが残ってる。
Bさん:本当?
Aさん:もう綺麗にしてはったんよ。
〇:凄い人ですね。
Aさん:そのおばあちゃんが、「車社会をもっと見越さなかったあんたたちが悪いんだから、住民の意見を納得するまで、せかないで聞いて欲しい」と言ったら。おばあちゃんが住民と公団のどっちにも加担せず、自分個人の意見としてね。そうしたら、公団も何も言えなくなった。ただ反対意見はあったけど、駐車場は必要やったからねぇ。
Bさん:欲しかった。
Aさん:欲しかったよね、みんな。
Bさん:うん。
〇:それはいつ頃のことですか?
Aさん:うちの子が小学校の頃やから、昭和55〜56年の頃かな。その頃は、みなさん駐車場が欲しかったんですよ、車がいっぱいで。そのうち消防自動車も入れないとか、文句が出始めて、みんな何度も、何度も話し合って。駐車場ができて、一番最初は抽選だったでしょ。26棟の北側の駐車場だったんよ。
〇:駐車場の場所は抽選だったんですか?
Aさん:うん。次に25棟と26棟の間の駐車場に移って、自分の家に近くなった。
Bさん:私も1回変わったような気がする。
Aさん:うちなんか3回変わった。色んなことで揉めたけど、一番揉めたのは駐車場やったね。
Bさん:それと南側〔中国自動車道〕の騒音。
Aさん:それは私らは関係なかった。
Bさん:知らんでしょ。
〇:壁を作りましたよね。
Bさん:そう、壁作って、トンネルみたいになってますわね。そして南側はサッシにしたの。
〇:住民の方から言い始めたんですか。
Bさん:そう、夜、騒音を調べて。80dbとかどうとか言って、住める騒音のレベルじゃないって。
〇:自分たちで測定器を持って調べたんですね。
Bさん:そう。
Aさん:やっぱりね、住んでる人が立ち上がらないとね。
Bさん:そうですよね。
Aさん:知り合いが、朝まで換気扇つけっ放しだったのに気づかなかたって。うちでは、換気扇つけてたら煩くて、すぐ消すんだけどね。
Bさん:テレビの音も聞こえにくいし。高速の道路だから夜中じゅう車が走ってるわけですよ。だから、ほんとにやかましかった。
10.団地内での移動
〇:団地の中で動くことは多かったですか?
Aさん:はい、中で結構動くんです。だから、私のお友達なんかは、最初、新婚時代は高層の1DKで、子どもさんが1人生まれて2DKに移って。今度、3DKに入ったりしてね。だから3回、団地の中で引っ越してる。そんな人もいます。
〇:人の入れ替わりはありますか?
Aさん:20年ぐらい前に、ば〜っと入れ替わったんです。
〇:20年前っていうのは?
Aさん:20年前くらいからマンションが建ち始めたんだと思うんです。だからみなさんが出て行かれて。あの頃、船場とかパークヒルズができて、そちらの方に。その頃、出遅れたものがまだ住んでるという感じかもしれないですけども。あのやっぱり、近隣にマンションがいっぱい建ち出して、そっちの方に。たぶん20年前ぐらいですよね、マンション建ち始めたのは。
〇:その後、人が入って来られたんですよね。
Aさん:その後、入って来られた方は転勤とかでね。以前住んでた人は、割と、長い間住んでらしたんですけどね
〇:20年前を境に回転が速くなったんですね
Aさん:そう。回転が割と速くなって。今、ちょっと空き家もありますが、お家賃が高いんですよ。お家賃が高いのでやっぱり若い方が少ない。同じ家賃を払うなら、もっと新しいところに入れるし、マンションも買えるしね。
11.住民の意識の変化
〇:意識の変化があったんですね。
Aさん:ありましたよね。万博の頃なんか、よその子ども引き連れてね、万博公園に行ってました。今はそんなことないよね。誘拐されそうで。お母さんの意識が変わったと思うんです。
〇:それに伴って管理の仕方が変わったんですね。
Aさん:ぱっと変わってしまったみたいな感じでね。
〇:どっと入って来られた方々の意識がそうだった。
Aさん:だからあんまりお付き合いされなくなりましたしね。昔だったら、お醤油が足りないという時は借りたりとか、そんな生活が団地の中であったんですよ。
〇:府営だけかと思ってましたが、公団でもそうなんですね。
〇:奥さんたちが仕事に出るようになったからでしょうか?
Aさん:それもあるかもしれないですね。でも、家にいらしても。何か人間が変わってきたのかなというぐらい雰囲気が変わりました。それからり個人情報とか。私みたいな昔人間に言わせたら、個人情報なんて言われても隠しておくこと何もないって思うんですけどね。自治会で敬老の日に、70歳以上の方にお茶をお配りするんですね。最初の頃は民生委員さんが年齢をご存じだったので配ってましたら。そうしていると、「なんで私の年齢が分かったんですか? だからこの7〜8年は自己申告表というのを配るんです。年齢を自己申告してもらった方だけにお茶を配っていく。だからお年寄りにもそういう意識が。
〇:若い人だけじゃなくね。
Aさん:若い人だけじゃなく。開放的やったから、今は締めつけられるような気がしますよ。でも若い人たちに言わせたら、開放的なのは嫌で、こう締めつけられるくらいというのが普通なんですよね。だから何もしなくなっていって。
- インタビューは千里グッズの会と豊中市との協働事業「千里ニュータウンの地域情報の「蓄積・編集・発信」システムの開発事業」(2011〜2014年度)の一貫として実施したものです。
- 千里ニュータウン研究・情報センターでは色々な方から千里にまつわる話をお聞きしています。こちらのページもご覧ください。