千里ニュータウンにお住まいのみなさまから、就学・就職・転勤などで他の地域に転居された千里ニュータウンのOB・OGのみなさまから千里ニュータウンの思い出をお聞きしています。

新千里北町の思い出(70代女性より)

  • 【住区】新千里北町
  • 【時期】1967年から1977年まで在住
  • 【思い出】初めて千里ニュウータウンを知ったのは、青山台に見学に行った時。広々とした街並みで、ここは、外国なのかと思ってしまいました。その後、たまたま、高校生の私が、新聞で、I地区土地分譲を見つけ、両親が、早速申し込みました。しかしながら、倍率38倍、とても当たらないと諦めてましたが、当たり、家族皆呆然としました。
    家を建て、引っ越したのは、1967年1月、私は3月まで、尼崎の高校まで、通いました。終点は、新千里山、後の南千里です。北町から、駅まで、バスで30分ほどかかりました。おまけに、十三まで、各駅停車。学校まで2時間近くかかり、高校3年生から、豊中市の桜塚高校に編入させていただきました。その頃、北千里まで路線が伸び、そこから朝1本、帰り1本の熊野田行のバスに乗って、高校に通いました。
    そのころ、千里は、陸の孤島と言われていました。まだまだ、思い出ありますが、今日は、ここまでとします。
  • 【性別】女性
  • 【年代】70〜79歳