千里ニュータウンにお住まいのみなさまから、就学・就職・転勤などで他の地域に転居された千里ニュータウンのOB・OGのみなさまから千里ニュータウンの思い出をお聞きしています。

『ディスカバー千里だより』No.10(2022年2月1日号)

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『ディスカバー千里だより』はNo.10より、千里中央の千里文化センター・コラボ、南千里の千里ニュータウン情報館でも配布していただくことになりました。

北丘小学校の出前授業

2021年12月7日、新千里北町の北丘小学校で、小校3年生を対象とする出前授業「千里ニュータウンと新千里北町:まちのとくちょうを知ってまちを楽しもう」の講師を担当しました。
出前授業は、子どもたちが自分たちの暮らす町のことを故郷として誇りを持ってもらえるようにという考えから企画されたもので、千里ニュータウン開発前の千里丘陵、千里ニュータウンが開発された経緯、千里ニュータウンと新千里北町の特徴などについて話をしました。子どもたちには出前授業の資料を持ち帰ってもらいましたので、子どもと一緒にお父さんお母さんにも資料を見て、街を歩いたり、知ったりしていただきたいと考えています。
後日、3年生から出前授業への感想とお礼の作文が届きました。ディスカバー千里は、これからも小中学校などでの千里ニュータウンを学ぶ地域学習に協力していきます。

北町つつじマルシェ

2021年11月6日、新千里北町のつつじ公園で開催された「北町つつじマルシェ」に参加しました。「北町つつじマルシェ」は「街の人が顔を合わせ、人と人が巡り会う」ことを目的として開かれたイベントで、会場ではフリーマーケット、ハンドメイドの雑貨、アクセサリー、鞄、野菜、ピザ、キッチンカーなどの出店がありました。
ディスカバー千里は、近畿大学建築計画研究室の協力を得てブースを出展し、千里ニュータウンの絵葉書の販売、新千里北町のミニ写真展「北町の誕生と成長の時代」、千里丘陵の歴史を紹介するパネルなどの展示を行いました。
千里ニュータウンの12住区のうち、新千里北町にだけリス、ゾウ、キリンなどの動物や、○▽□などの幾何学の形をした50以上の車止めがあります。車止めについて教えて欲しいという依頼を受けて、急遽、ミニ講座も行いました。
ディスカバー千里のブースに新千里北町にお住まいの方が、自分の子どもが車止めに乗って遊んでいる写真を持って来て下さいました。資料として使ってくださいとのこと。ディスカバー千里の活動がきっかけになり、新千里北町にとって車止めが大事な宝物であることが浸透していることを実感した出来事です。

新千里東町団地ものがたり展

2021年11月28日、「街かどデイハウス千里」、近畿大学建築計画研究室との共催で「新千里東町団地ものがたり展」の解説と懇談会を開催しました。現在、UR新千里東町団地は、千里グリーンヒルズ東町への再整備が進められています。解説と懇談会は、住民の方とともに新千里東町団地の歴史を振り返るために企画したものです。
新千里東町団地は、先進的な住棟配置が試みられた団地です。当時、公団の団地では日照を確保するため、板状(かまぼこ板状)の住棟を南側に向けて配置する「平行配置」が一般的でした。これに対して、新千里東町団地で試みられたのが、「コ」の字型、「L」字型に配置した住棟を連続させることで、緩やかに囲まれた中庭を作る「囲み型配置」です。「囲み型配置」には、当時の公団が掲げていた「人間融和」(今でいうコミュニティ)を実現しようとする思いが込められています。解説と懇談会では、中庭について次のような思い出を伺いました。

「私たち子どもを幼稚園に送り出したらね、(子どもが)帰ってくる時、『まだ、おかあちゃんら話してたん?』って言われるぐらい、本当に(中庭などで)喋ってました。」

「真ん中に児童公園がありますよね。子育てをしてる時、親が行かなくても、みんなが周り(の住棟)から子どもたち見てくれてる。子どもたちが遊んでる様子が周りから全部見える。ご飯なったら、『ご飯よ』って(部屋から)声をかけたら、みんながばぁ〜っと家に帰って行くというようなね、そんな風景を思い出してたんですけど。囲み型の効果が出てたんだなっていうのは感じました。」

近畿大学建築計画研究室が作成した新千里東町団地の「大きな本」は、千里グリーンヒルズ東町の集会所に保管しており、今後も茶話会などの機会に見ていただけるようにしています。ぜひ、「大きな本」をご覧いただき、新千里東町団地の歴史を振り返っていただければと思います。

連載コラム:千里発見

[第5回]高低差のある地形をいかしたすべり台

鈴木博久

千里丘陵は、大阪湾の海底だった大阪層群が隆起を繰り返し、今から数十万年前に誕生しました。千里丘陵に開発された千里ニュータウンの大きさは南北約5km、東西約4km、面積は約1,160ha(甲子園300個分)。標高は大部分が50〜70m、北西端の最高地点が約134mで、大阪平野から見て高台になります。
千里丘陵には大きな川はなく、多くの山と谷が複雑に入り組んでいます。人が住みにくい地形であるため入植を拒んできましたが、先住民たちは高低差のある地形を上手く生活に取り入れて生き抜いてきました。5世紀後半古墳時代には、山の斜面を利用した「登り窯」で須恵器を焼き祭器を生産していました(桜井谷窯跡群)。江戸時代以降は山の斜面を利用し桃、柿などの果樹を栽培していました。
千里ニュータウンの各住区に見られる地形の高低差は、千里丘陵の名残りです。各住区には地形の高低差を利用した滑り台が作られました。
千里ニュータウンのまち開きから今年で60年になります。戸建住宅、集合住宅の建て替えが始まり、子どもたちに愛されてきた思い出のすべり台の中にも撤去されるものも出てきたことから、記録として残すことにしました。

  • (A)〜(L)は開発時に用いられていた名称(工区名)を表す。
  • 新千里北町には高低差のある地形をいかしたすべり台がない、高低差のある斜面を上手く利用して自然発生的に「子ども(住民)が作ったすべり台」がある。

※ディスカバー千里は、千里ニュータウンにお住まいの皆さまから、就学・就職・転勤などで他の地域に転居された千里ニュータウンのOB・OGの皆さまから、千里ニュータウンの思い出をお聞きする活動を続けています。
こちらのページから、千里ニュータウンのすべり台での遊び方など色々な思い出をお寄せ下さい。