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千里のまち歩きマップ
2020年4月7日、新型コロナウイルスの感染拡大に伴い大阪府に緊急事態宣言が出され、千里ニュータウンでも各種の公共施設、集まりの場所などが休館・休業とされました。緊急事態宣言は5月21日に解除されましたが、現在も新型コロナウイルスが完全に収束したわけではありません。
感染防止は必要ですが、同時に、自宅に引きこもりがちになり、運動不足になったり、社会的に孤立したりすることで心身の健康が損なわれることが懸念されます。このような状況において、ディスカバー千里(千里ニュータウン研究・情報センター)にできることとして、千里ニュータウンのまち歩きのコースの情報を整理し、ご紹介することを考えました。
まち歩きマップの情報は、ディスカバー千里のウェブサイトで紹介しています。
新型コロナウイルス感染症の流行が収束した後、皆さまが元気であり続け、千里ニュータウンの魅力がより多くの方に共有されていることを願います。
※まち歩きに際しての注意事項
- 感染予防のため大勢で密集して歩かない、人混みを避けるなど、密にならないよう気をつけてください。
- まだまだ暑い日が続きますので、脱水症や熱中症にも十分に気をつけてください。
- 紹介しているコースは公園、道路(歩行者専用道路)を中心としていますが、住宅地内を歩く場合は、お住まいの方のご迷惑にならないようご配慮ください。
- 団地の建替えなどにより歩けなくなっているコースもありますがご了承ください(千里ニュータウンの変化を知る機会としていただければと思います)。
千里の思い出募集中
ディスカバー千里は、千里ニュータウンにお住まいのみなさまから、そして、就学・就職・転勤などで他の地域に転居されたOB・OGのみなさまから思い出を伺う活動を続けています。これまでたくさんの貴重な思い出をお寄せいただきました。かつてお住まいだったからお寄せいただいたいくつかの思い出をご紹介します。
「ニュータウンというだけあって、建物や道路が先進的で整然としている印象でありながら、自然もたっぷりと残っていて、クワガタやバッタ、ザリガニ捕り、タケノコ堀りなど泥んこで遊べる場所もたくさんありました。洒落たボディーカラーの阪急電車は今でも一番好きな乗り物です。私の住んでいた佐竹台ハイツもなくなり、千里セルシーも取り壊されると聞き、寂しい思いですが、今でも千里が大好きで、いつかは戻りたいと思っております。今は関東に住んでおりますが、時々千里が恋しくなって、急に思い立って訪れたりしています。」
佐竹台ハイツ(2005年、ディスカバー千里撮影)
「千里を離れておりましたが母の介護の為に最近まで頻繁に通っておりました その合間に久しぶりの千里・・・ 懐かしくて想い出を探しながら沢山歩きまわりました 千里の歴史は私の成長と共にあります 街も変わり私自身も歳を重ねました そして千里中央が大好きだった母も亡くなりましたのでこれからは訪れることも少なくなります。」
「東町のさくら会館の側にある岩が沢山ある遊び場でよく遊んだ事を覚えています。子供たちは岩場とか、ぴょんぴょこ岩とか呼んでいました。・・・・・・ 2年前に千里に行った時に懐かしく探しましたが、高層マンションだらけで全くわからずさくら公園も探せませんでした。もう今はないのでしょうかね。懐かしいな。」
「時々千里が恋しくなって、急に思い立って訪れたりしています」、「懐かしくて想い出を探しながら沢山歩きまわりました」、「2年前に千里に行った時に懐かしく探しました」という言葉からは、千里ニュータウンで育った方々にとって、この街は過去の思い出としてだけではなく、再訪したり、いつか戻りたいと思ったりというように今でも具体的な関わりの場所であり続けていることが伺えます。人工的に作られた街が、故郷へと成熟したということかもしれません。
ディスカバー千里は、引き続き千里ニュータウンの思い出を募集しています。みなさまにとって、千里ニュータウンはどのような街ですか?/街でしたか?
ディスカバー千里のウェブサイトから、ぜひ思い出をお寄せください。
新千里東町のこれからを考える会
新千里東町の「ひがしまち街角広場」は、2001年9月30日のオープン以来、近隣センターの空き店舗を活用して、約19年にわたり住民ボランティアにより運営が継続されてきました。最初の半年間は豊中市の社会実験として補助を受け運営されていましたが、その後は補助を受けない「自主運営」とされています。
「ひがしまち街角広場」は地域で大切にされ続けてきた場所であり、また、地域内外の様々な場所のモデルになってきた場所ですが、近隣センターの再開発に伴い、早ければ2021年春頃、遅くとも2022年夏頃には運営を終了することが決まっています。こうした状況を受け、8月7日(会場:ひがしまち街角広場)と8日(会場:千里文化センター・コラボ)に「ひがしまち街角広場」をどのように継承していくかを考える集まりを開きました(ディスカバー千里と「ひがしまち街角広場」の共催)。
参加者からは「ひがしまち街角広場」の役割について次のような話がありました。
- 参加者からは「ひがしまち街角広場」の役割について次のような話がありました。
- 子育ての悩みは、同じ世代だけでなく、上の世代の人にも話を聞いてもらうことも大切。「ひがしまち街角広場」はそれができる場所。
- 「ひがしまち街角広場」は東丘小学校内のコミュニティ・ルームの鍵の預かりなど地域運営の一端を担っており、スムーズな地域運営に欠かせない。
- 福祉の立場としては、「ひがしまち街角広場」に行くと高齢者の様子がわかるし、高齢者の情報も入ってくる。同じ住民同士で、見張のではなく、例えば集合ポストの新聞がたまってるとかさりげなく見守ってくれている。スタッフは住民のことをよく知っているので、高齢者のことを誰彼となく話すのではなく、民生委員など人をみて伝えてくれる。
「ひがしまち街角広場」のスタッフや来訪者は高齢の世代が中心であるため、一見すると高齢者が集まる場所に見えるかもしれません。けれども、上の世代の人に子育ての悩みを相談できる、地域運営の一端を担う、見張るのではなくさりげない見守りなどの言葉からは、(全ての住民ではないかもしれませんが)地域で「ひがしまち街角広場」の役割が共有されていることが伺えます。
このような大切な場所なのだから、近隣センターの再開発で運営場所がなくなったから「おしまい」というわけにはいかないだろう、19年間も運営を担ってきたスタッフに対して「ご苦労さん」とねぎらいの言葉をかける人が地域にいないこと自体が問題ではないか。このような意見も出されました。
「ひがしまち街角広場」の継承という大きなテーマについて結論が出されたわけではありませんが、今後も継続してこのような集まりを開くこととなりました。ディスカバー千里は「ひがしまち街角広場」や住民と連携しながら、継承の可能性を探っていきたいと考えています。
最近の千里ニュータウン
新型コロナウイルスの感染防止のための緊急事態宣言が出されていた期間、千里ニュータウンでは次のような光景を見かけました。
ゴールデンウィークには、桃山台駅南側の千里緑地沿いの歩道で千里ニュータウンに向かって歩く人たちがいました。千里中央のすぐ近くにある千里東町公園では、池のほとりのベンチで休憩しておられる夫婦の姿を見かけるようになりました。これまであまり見かけなかった光景です。
散策やピクニックの手ごろな場所として千里ニュータウンの緑の多い環境が再発見されていることが感じられる光景です。
連載コラム:千里発見
[第4回]千里丘陵の垂水
(鈴木博久)
縄文前期(約7千~6千年前)の海面上昇で千里丘陵の南端に湧き水が滝となって落ちる海食崖が誕生しました。今でも垂水神社の境内にはその「垂水の滝」があります。万葉集で志貴皇子(しきのみこ)が「石走る 垂水の上の さわらびの 萌え出づる春に なりにけるかも」と詠んでいます。また大化の改新(645年)の頃に日照りが続き10kmも離れた難波長柄豊崎宮まで「垂水の水」を送りました。千里丘陵には昔から大きな川が無く、山に谷が複雑に入り組む地形で、松林と雑木林が広がり入植を拒んできました。
しかし山田村からの新田開発により、江戸寛永3年(1626)新田村が誕生しました。最初に谷を堰留めて溜池を作り田んぼや畑を潤しました。また新田村では井戸水を日常生活用水とし、共同井戸の水は共同苗床に使いました。
最近、上新田4丁目の町案内の看板に「たるみ池」の名前があるのを発見し、その池を探してみるとそこは平成8年(1996)に出来たマンションになっていました。いま上新田南小学校が建っているところが元の「たるみ池」の水源で、湧水は田んぼを潤し「たるみ池」に落ち込んでいたそうです。今はその湧水もなくなり田んぼは畑になっていました。旧上新田小学校の卒業生に訊くと昔生徒たちは夏になると「たるみ池」の綺麗な水で泳ぐのを楽しみにしていたそうです。
千里ニュータウンでは宅地造成などで田んぼへの水が要らなくなり、蛇口をひねれば何時でも水が出る世の中となり、水の有り難みをあまり感じなくなりました。しかし水は我々にとって生命と生活を守る大切なものです。改めて水の恵みに感謝したいと思います。