千里ニュータウンにお住まいのみなさまから、就学・就職・転勤などで他の地域に転居された千里ニュータウンのOB・OGのみなさまから千里ニュータウンの思い出をお聞きしています。

高野台の思い出(50代女性より)

ディスカバー千里(千里ニュータウン研究・情報センター)は、千里ニュータウンにお住まいのみなさまから、就学・就職・転勤などで他の地域に転居された千里ニュータウンのOB・OGのみなさまから千里ニュータウンの思い出をお聞きする活動を行なっています。これまでにお寄せいただいた思い出をご紹介いたします。
こちらのページでも、これまでお寄せいただいた思い出をご紹介しています。ぜひご覧ください。


  • 【お住まいの住区/お住まいだった住区】高野台
  • 【時期】幼少期から小学校3、4年生頃
  • 【思い出】両親が開発当初から団地に住んでいて、私は生まれ育ちました。小学校卒業と同時に父の転勤で名古屋へ引っ越して、現在は東京まで来て定住してしまいました。
    千里ニュータウンでは、ほぼ歩道が完備されていて、車をそんなに意識せずに子供が安全に歩けたことは懐かしく思い出します。
    新しい住宅しかない綺麗な街並み、静かな街は、引っ越しをしたらそこは違っていました。同じ団地の子供たちは、年齢を問わずみんなで遊んだことは、成長に大切なことだったと思います。
    団地の前の長い階段で「グリコ、チョコレイト、パイナツプル」で遊んだり、道路に白墨でカカシの絵を描き、小石を投げてケンケンパー遊びをしたことを思い出すと泣けるくらい懐かしいです。
    親に怒られ外に出され(今では虐待ですよね)た時に、上の階に住むおばちゃんに見つかって(恥ずかしかった〜)、「一緒に誤ってあげるから、お家に入れて貰おう」と優しく声をかけともらったことは、私の人生の宝物の思い出です。
  • 【性別】女性
  • 【現在の年代】50〜59歳