千里ニュータウンにお住まいのみなさまから、就学・就職・転勤などで他の地域に転居された千里ニュータウンのOB・OGのみなさまから千里ニュータウンの思い出をお聞きしています。

ひがしまち街角広場主催の竹林清掃&地域交流会(2019年4月)

2019年4月20日(土)、千里東町公園で「竹林整備&地域交流会」が開催されました。主催はコミュニティ・カフェ「ひがしまち街角広場」です。この催しは、竹林に顔を出し始めたタケノコを小さいうちに採ることでタケの密生を防ぎ、健全で美しい竹林の維持に貢献しようとする住民参加の活動です。新千里東町の住民の交流・親睦を兼ねて毎年4月に行われています。

この日は気持ちの良い晴天。親子連れなど約120名が参加されました。タケノコ掘りを指導してくださる「千里竹の会」の方たち約10名、警備・安全担当の「東丘ダディーズクラブ」の方たち約10名、パネルで千里の歴史を紹介する私たち「ディスカバー千里」のメンバー4名を合わせると、総勢約150名の竹林整備となりました。1週間ほど前まではタケノコが少ししか出ていなかったので、昨年に続いて今年も不作じゃないかという話がありましたが、予想に反して竹林の斜面にはたくさんのタケノコが顔を出していました。

ニュータウンを取り囲むグリーンベルト(千里緑地)や住宅地の中の公園には、かつての千里丘陵の竹林が残されています。これは、江戸時代後期にタケノコを栽培するために人工的に植えられたモウソウチクです。
欧米では戦後、土地それぞれの自然を継承し、活かした都市開発・住宅地開発が行われるようになりましたが、日本では千里ニュータウンの千里緑地に千里丘陵の自然が残され、さらに千里ニュータウン開発後半の公園計画では欧米の先進的な考え方が取り入れられ、開発前からある雑木林や竹林、ため池などが活かされました。その代表が千里東町公園です。

新千里東町の開発計画をまとめた大阪府の「中央近隣センター及びJ住区基本計画設計説明概要書」(1964年(昭和39年))には、新千里東町の住宅地計画の考え方がつぎのように述べられています。

「J住区は、この副都心に隣る住区として、理想的住区として計画された。即ち、欧米諸新都市で考えられているペデストリアンと、自動車道路の徹底的分離を実現して、高密度高層・中層住宅群を数グループに分けて配置して、各グループはペデストリアン道路によって、幼稚園、小学校等の公共施設に便利に安全に結ばれ、且つ美しい庭園の中を通るよう考えられている」

  • 「中央近隣センター」は千里中央地区センターの計画・建設時の名称で、「J住区」は同じく新千里東町の計画・建設時の名称
  • 「副都心」は千里中央地区センターを指す
  • 「ペデストリアン」とは車の通らない歩行者専用の道路のこと

「美しい庭園」とは、千里東町公園をはじめとした公園や団地のオープンスペースなどを指しています。新千里東町は1966年(昭和41年)のまち開きから半世紀以上経ちますが、公園の緑はますます緑の量を増し、「庭園」の趣を濃くしています。しかし、受け継がれた雑木林や竹林は人の手で手入れされていた里山ですので、人の手で整備・保全していくことが大切です。千里東町公園の竹林は、市民グループ「千里竹の会」の方たちが週に2回、整備作業をしておられますが、住民も身近な環境に関心を持ち、その手入れに協力することが必要だと考え、「ひがしまち街角広場」は毎年「竹林整備&地域交流会」を主催しています。なお、「ディスカバー千里」はこの催しに参加して、千里丘陵や千里ニュータウンの歴史をパネルで紹介しています。

新千里東町近隣センター(店舗、地区会館、広場などが設置された新千里東町のコミュニティセンター)の移転・建設のために、「ひがしまち街角広場」はあと2年ほどで解散の予定ですが、住民が力を合わせて身近な環境を手入れしつつ親睦を図る「竹林整備&地域交流会」は、何らかの形で続けていくべきだと考えます。