千里ニュータウンにお住まいのみなさまから、就学・就職・転勤などで他の地域に転居された千里ニュータウンのOB・OGのみなさまから千里ニュータウンの思い出をお聞きしています。

万博公園冬景色——アジアの未来を示す街に(朝日新聞, 2011年1月9日)

『朝日新聞』に「千里グッズの会」についての記事が掲載されました。


初春の大阪・千里、日本万国博覧会記念公園は寒風のなかだ。

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公園に近い千里ニュータウンは、来年、街開きから半世紀を迎える。
日本の大規模住宅地開発のさきがけとなり、高度成長を支えたサラリーマンらが入居した街は、一斉に高齢化が進む。人口はピーク時から3割減り、今や3人に1人近くがお年寄りだ。
大阪や関西の先頭を走った千里の今は、地域の苦境を映す鏡でもある。

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■千里ブランドを見直す
その千里では高齢化社会へ向けたさまざまな取り組みが始まっている。
拠点の一つは「近隣センター」だ。建設当時、数千人規模の団地ごとに、商店や幼稚園、銭湯などの施設を徒歩圏に集めた。その後、大規模スーパーが進出し、車社会が到来した。多くの商店は閉鎖され、衰退した。
そんな空き店舗を利用して、住民らが運営するカフェができ、出会いの場となっている。そこから、「千里グッズ」の制作・販売や竹林の保護に取り組むグループが生まれ、大学の研究室や留学生との交流も始まった。
集合住宅の建て替えで、子育て世代の入居もあり、お年寄りと子供らがふれあう場を設ける試みも模索されている。徒歩圏が見直されている。
地元の吹田市は、ニュータウンと万博公園、太陽の塔をあわせて世界遺産の登録をめざす大風呂敷を広げた。
共通するのは、千里の良さをもう一度見つめ直そうというまなざしだ。
潜在力は高い。万博にあわせて道路や鉄道が整備され、緑豊かな自然が残る。大阪大などの教育・研究施設は多く、高水準の医療機関もある。
そうした資源は、時代に合わせて有効に活用されてきたわけではない。
万博公園が、地元市や地域住民との十分な意思疎通を通して運営されてきたとは言い切れない。大学や博物館と住民らが機能的なネットワークを築いているとも言い難い。
関西全体に通じる話だ。首都圏に次ぐ経済規模があり、歴史的資産や都市基盤に恵まれてきたから、これまではお互いに連携し課題にあたるという気風に乏しかった。

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*「社説:万博公園冬景色−アジアの未来を示す街に」・『朝日新聞』2011年1月9日