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北丘小学校の出前授業
2023年2月6日(火)、北丘小学校学校3年生への出前授業が行われ、千里丘陵の歴史、千里ニュータウンや新千里東町が誕生したいきさつ、ニュータウン計画の特徴などを話しました。皆さんが熱心に話を聞いている姿に、まちを知ることへの興味の強さを感じました。
小学生は、まちに暮らすどの世代よりもまちを歩いており、まちの形や環境の特徴を見ている・体験している世代だと思います。将来、このまちに住み続けるにしても、ほかのまちで暮らすにしても、小学生のときにまちへの興味や誇りを育てる機会をつくることは、「良好な暮らしの環境の持続・向上」の基礎になっていくと思います。
新千里北町の車止め探しゲーム
2024年5月26日(日)、吹田市千里山とその周辺部の子どもたちを対象としたボーイスカウト吹田第9団カブ隊(小学3年生~5年生)の千里ニュータウンを歩く「ポイントハイク」が行われました。カブ隊約20名の隊員は、指導者や保護者約15名の皆さんとともに9時ごろに阪急千里山駅西側の千里山第一噴水前を出発。「指令書」の読み解き、「歩測」の実践、途中の公園でのモニュメントの「高さ測定」などの訓練を行いながら、3時間ほどをかけて新千里北町の「樫ノ木公園」に到着しました。
ディスカバー千里は樫ノ木公園の広場で合流。「車止め探しゲーム」に先立って千里山住宅地と千里ニュータウンのイギリス住宅地建設の歴史とのつながりや新千里北町の特長、車止めの紹介などを説明しました。
説明のあと、カブ隊は3組に分かれて車止めの位置が示された地図を読みながら、1時間の制限時間で30基の車止めを探し出すゲームに出発しました(新千里北町の車止めの総数は約50基)。それぞれの探索隊は、地図を読む係や先頭に立って車止めを探す係といった役割を分担して探索を進めました。ディスカバー千里のメンバーは、ところどころで車止めの形の意味を解説しました。
公園のため池と竹林の歴史
2024年4月13日、千里東町公園で「春の竹林整備&地域交流会」が開催され、ディスカバー千里は公園の池や竹林の歴史の説明を行いました。この行事は、2001年9月にオープンした「ひがしまち街角広場」に集う人たちやボランティアスタッフの発案で2002年4月2日に第1回目が開催。「ひがしまち街角広場」の活動終了後の2023年からは東丘公民分館の主催の行事として引き継がれています。
千里ニュータウンの区域に初めて人が住み始めたのは、寛永3年(1626年)のことです。山田下村から新田開発のために入植された方たちによって新田村が拓かれました。江戸幕府が開かれてから20年ほど後のことです。後に新田村は上新田と下新田(現吹田市春日一帯)に分かれますが、上新田の範囲は、現在の新千里北町・東町・西町と、新千里南町の一部に及ぶ山と谷が複雑に入り組む広大な範囲に広がっていました。千里丘陵には大きな川がないので、農業用水を確保するために入植後に村民の方たちが費用を出し合ってため池を築造しました。それが長谷池(東町公園)、安場池(千里中央公園)、樫ノ木池(北町樫ノ木公園)として残されています。一方農業は、比較的平坦な谷の部分に田畑が耕されていましたが、平坦な場所が限られているために斜面の活用が考えられ、モウソウチクが植えられてタケノコの栽培が行われました。
千里ニュータウン建設の後半の計画で重要なことは、上新田の村民の方たちが農業のために築造したため池や斜面を利用して育てた竹林を積極的に公園に残したことであり、現在の考え方で言えば地域の「農業遺産」を受け継いだ公園計画が行われたことです。
「千里竹の会」のボランティアの方たちが受け継がれた竹林を整備され、住民が年に1度ですが竹林整備を体験できることは、住民が地域の環境に関心を持つきっかになるものと考えます。竹林整備の活動がこれからも継続されていくことと、竹林が癒しの環境・景観としてさらに活かされるように「こぼれび通り」や沿道の広場の再整備が行われることを願います。
「千里セルシー」「千里阪急ホテル」の思い出をお寄せください
ディスカバー千里(千里ニュータウン研究・情報センター)は、千里ニュータウンで暮らしてこられたみなさまから、そして、就学・就職・転勤などで他の地域に転居された千里ニュータウンのOB・OGのみなさまから、千里ニュータウンにまつわる思い出をお聞きする活動を続けています。
2024年8月に策定された「千里中央地区活性化基本計画〈改定版〉」で、「千里セルシー」、「千里阪急ホテル」の再開発が発表されました。ディスカバー千里は、これらの場所にまつわる思い出を貴重な財産として、継承したいと考えています。
お寄せいただいた思い出は、イベント会場やウェブサイトなどで共有させていただきます。
こちらのページではお寄せいただいた思い出をご紹介しています。こちらのページもぜひご覧ください。
「千里セルシー」
「千里セルシー」は1972年にオープンした複合商業施設。屋外の「セルシー広場」は新人歌手の登竜門としてその名が知られており、これまでに多くのアーティストが出演してきました。5階の「セルシーホール」では、1973年から上方落語協会による「千里繁昌亭」が毎月27、28日に開かれていました(「繁昌亭」の名は現在の「天満天神繁昌亭」に受け継がれています)。
2018年6月の大阪北部地震の影響で休館。その後、営業が再開されましたが、2019年5月31日に閉館されました。
→こちらのページで「千里セルシー」の思い出を募集しています。
「千里阪急ホテル」
「千里阪急ホテル」は、1970年の大阪万博にあわせて、カーブを描く128室の客室棟とグリル・バー、コーヒーショップ、プールを持つリゾートホテルとして開業しました。設計者は、アイビースクエアや倉敷市庁舎を手掛けた日本を代表する建築家・浦辺鎮太郎氏。豊かな自然環境を守り、景色に溶け込むようなホテルとするため、広大な敷地に7つのガーデンを設けられ、その土地に生息していた種の木々が植樹。館内の装飾も「千里の自然」をモチーフにデザインされています。
→こちらのページで「千里阪急ホテル」の思い出を募集しています。
セルシー広場の主な出演者
1980年
・もんた&ブラザーズ(8月)
・川島英五(8月)
・川中美幸(8月)
1982年
・大橋純子(7月)
・あのねのね(8月)
・洪谷哲平(8月)
・サーカス(11月)
1983年
・石川秀美(3月)
・岩崎宏美(5月)
・森山良子(8月)
・小坂明子(8月)
・マイク真木(11月)
1984年
・デュークエイセス(7月)
・杉山清費&オメガトライブ(8月)
・やしきたかじん(8月)
・河合奈保子(9月)
1985年
・しばたはつみ&ハーミッツ(8月)
1986年
・憂歌団(3月)
・高石ともや&ナターシャセブン(3月)
・芳本美代子(S.61.4月)
・西村知美(6月)
・円広志(10月)
1987年
・嘉門達夫(8月)
1988年
・立花理佐(3月)
・酒井法子(8月)
1989年
・ビリーバンバン(3月)
・はしだのりひこ(8月)
1990年
・ダ・カーポ(3月)
・みなみらんぼう(3月)
・かまやつひろし(7月)
1991年
・葛城ユキ(8月)
1992年
・C. C. GIRLS( 6月)
・加藤紀子(8月)
・杉田二郎(8月)
1996年
・橋幸夫(10月)
1997年
・高橋克典(2月)
・堀内孝雄(4月)
1998年
・八代亜紀(4月)
1999年
・松浦亜弥(6月)
2001年
・EE JUMP(9月)
・ル・クプル(9月)
2002年
・藤本美貴(6月)
2003年
・美川憲一(8月)
・カントリー娘。(8月)
・後藤真希(8月)
・メロン記念日(12月)
2004年
・小倉優子(2月)
・Berryz工房(3月)
2005年
・Lead( 4月)
・WAT(11月)
・AAA( 12月)
2006年
・中川翔子(7月)
・°C-ute( 7月)
・AKB48( 11月)
・ロバート( 12月)
2007年
・ET-KING( 3月)
2008年
・アイドリング!(2月)
・NON STYLE( 2月)
・玉木宏(3月)
・羞恥心(6月)
・mi sono( 7月)
・J soul Brothers( 8月)
・ノースリーブス(11月)
2009年
・渡り廊下走り隊(1月)
・倉木麻衣(4月)
・つるの剛士(4月)
・今井絵里子(5月)
・南明奈・里田まい(6月)
・ジャルジャル(7月)
・BREAKERZ( 12月)
2010年
・GIRLS NEXT DOOR( 1月)
・ヒルクライム(1月)
・SKE48( 4月)
・超新星(5月)
・稲垣早希(6月)
・ナオト・インティライミ(7月)
・ジェロ(8月)
・野口五郎(8月)
・アンジェラ・アキ(9月)
・SCANDAL(10月)
2011年
・SND48(4月)
・スマイレージ( 4月)
・五木ひろし(5月)
2012年
・ミッツマングローブ(4月)
・水森かおり(4月)
・きゃりーぱみゅぱみゅ(5月)
・氷川きよし(9月)
・矢井田瞳(9月)
・初音ミク(10月)
・小林幸子(11月)
2013年
・HKT48(3月)